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忌野清志郎/誰も知らない [音楽(忌野清志郎)]

追悼本、追悼ライブ、追悼イベントが次から次へと。
CDやDVDの売り上げも好調らしい。ネットでの書き込みも
あいかわらず多いし、清志郎さんのブームは、まだまだ続きそうです。
「忌野清志郎」は、言うまでもなくビッグネーム。
ファンの数も多いし、人気も高い。しかし、レコードセールス、
観客動員数がそれに比例していたかというと、そうではなかったと思います。
チケットを買うのに、そんなに苦労しなかったし、
その姿を小さなライブハウスで、しかも間近で見れましたから。

ミュージシャンがピークを過ぎて、活動拠点が
小さな会場に移行していき、セールス面でも下降線をたどるようになる。
それは、あたりまえのことなんでしょうが、
でも、天才と言ってもいい人ですから、
CDを発売した時は、もっと話題になっても
いいんじゃないかなと思ってました。
清志郎さん本人も、その状況に関する、焦りやいら立ちが
あっただろうし、さびしさみたいなものも
感じていたんじゃないでしょうか。
復活した時、ファンは大喜びで、盛り上がったけど、
今のこんな感じではなかった。あの時、
マスコミやメディアがもっともっとあおって、
今ぐらい盛り上がってたらな〜、なんて思います。

かつて清志郎さんは、著書で
こんなことを書いています。
「レインボーカフェ」はすげえ評判がいいぞ。めずらしいことだ。 俺の音楽がこんなに評判がいいのはめずらしい。だが田舎では 売られていないんだ。(中略) 全国で売れるためにはもっと腐った音楽じゃないとダメなのさ。 (忌野清志郎著「瀕死の双六問屋」より)




「誰も知らない」 作詞作曲:忌野清志郎

誰も知らない 僕の作る歌を誰も知らない
誰も知らない 僕が歌う歌を誰も知らない
でも それはいいことなのかもしれない
僕の歌には力がありすぎるから

誰も知らない 僕が歌うところを誰も見てない
誰も知らない みんなはテレビが歌う歌しか知らない
でも それはいいことなのかもしれない
今まで通りがみんなは大好きだから 





清志郎さんを敬愛する、ある著名ミュージシャンが
最近ブログで、こんなことを書いてました。
しかしまあ、出しても売れはしないだろう。 入魂のシングルが売れていないのに アルバムなんか売れるわけがない。

そして、こんなことも。
金かけて作ったがペイできそうにないなら、 そういうメドが売る側として立てにくいのなら、 別に出さなくったっておれは全然かまわない。 恥をかくのはイヤだ。

苦しんでますね。アルバムを買って、じっくり聞いてあげること。
ファンができるいちばんのことなのかもしれませんね。


タグ:忌野清志郎
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PANDA

BRUCE06さま
清志郎さんが身を置いていた業界のビジネスの仕組みのことは
よくわかりませんが
アルバムを作ったらいつも、どんな所ででもライヴをしてくれた
清志郎さんの音楽に対する誠実さ、のようなものに
とても感謝しています。
日々の生活に追われてライヴには片手で数えるくらいしか
行けなかったけれど、そのひとつひとつが忘れられない
だいじな記憶になっています。



by PANDA (2009-06-19 00:06) 

オレンジ

「誰も知らない」この曲は、本当のことを歌っているところが気持ち良くて大好きです!

清志郎さんのように自己肯定感の高い人で、自分をハッキリと表現できる人は非常に少ないので、本当はこんな人のようになりたいと感じるのに、こういう人を認めてしまうと自分を否定するようでみんな怖いのじゃないかなと思います。でもそんなことにさえ気づいていないというか‥。

マスコミやメディアに関わる方々には特に、本当の良さを判断できる清志郎さんのような人が増えるといいなと思います。


by オレンジ (2009-06-19 08:57) 

BRUCE06

PANDAさん。
いいものをつくったら売れる、評価される、
そういう世界ではないですからね、音楽も。
この歌とか、「崖っぷちのキヨシ〜」という
歌詞が出てくる「心のボーナス」とかを
聞くと、複雑な気分になります。


オレンジさん。
ふりかえってみると、そんなに
過激なことじゃないんですよね、
清志郎さんがしてきたことって。
あたりまえのこと、
言わないといけないことを
言ってきただけ。
ほんとうに、いろんなことを
教えてくれた人でした。

by BRUCE06 (2009-06-19 10:48) 

あきどん

この曲ね、すごくイイよ。他人に認められたいという根源的な欲求は誰でも持っている。そこが満たされない寂しさ、悲しさを温かく
つつんでくれる曲だと、勝手に思っている。

組織・世間・社会・企業などの、「集団」が「個人」を抹殺することは枚挙にいとまがない、とくに「個人」軽視の日本社会では。

清志郎をとりあげること自体、リスキーに感じていたマスコミ「集団」に清志郎という「個人」は、焦燥を超え諦念を感じていた中で生まれた曲なんじゃないか。

歌詞と裏腹に、安定したリズム、明るい和音、マーチのようだ。
はじめはひとりきりで歌っていたギター童子のあとを、いつしか いろんな動物や人々が後ろをついて行進してゆくイメージがこの曲にはある。

いうなれば、ロック行進曲。素晴らしい。
by あきどん (2010-10-03 00:29) 

あきどん

2010年に上記コメントをしましたが、今になってようやくこの唄の背景が理解できましたね。起点は、反原子力だった。
レコード会社、スポンサー、マスコミがビビって彼を積極的にとりあわなくなったタイマーズ後期や、十字架三部作の時期。
ラフィーターフィーのCDジャケなんかももうどうでもいいやと自分で撮っちゃった。
日本は、学校で習った自由な国なんかじゃなかった、清志郎がどこかで語っていたのを想い出します。
僕らの住む国は、特に精神面で遅れた、お粗末なところでした。
でもこの曲のよさは、今なお光り輝いていることに変わりありません。

by あきどん (2012-10-16 01:56) 

BRUCE06

あきどんさん。

二度もコメント、ありがとうございます。
ずっと、「歌いたい歌を歌う」にこだわりつつ、
良質な音楽を届けてきた清志郎さん。
最後までそれを通していましたが、
その横顔に、ボクはさみしさみたいなものを
ほんの少し感じ取っていました。
by BRUCE06 (2012-10-18 12:30) 

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