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忌野清志郎の頭の中(2)カバーズ、そしてサマータイムブルース。 [音楽(忌野清志郎)]

RCサクセションが1988年にリリースした
「カバーズ」は、洋楽のスタンダード曲に、忌野清志郎が
日本語詞をつけたカバーアルバムだ。

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東日本大震災で、福島原発に事故が起こってから、
このアルバムが注目されるようになった。
それは、反原発ソングが含まれているからだ。
反原発を唱える人たちは、その歌「サマータイムブルース」を賞讃し、
運動のシンボルにしようとしているようだ。

サマータイムブルース (作詞:忌野清志郎)

熱い炎が先っちょまで出てる
東海地震もそこまで来てる
だけどまだまだ増えていく
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ 誰のため?
狭い日本のサマータイムブルース
(中略)
それでもTVは言っている
「日本の原発は安全です」
さっぱりわかんねえ 根拠がねえ
これが最後のサマータイムブルース
(略)     (全歌詞)(you tube


しかし、カバーズというアルバムに含まれている
反原発ソングは(清志郎曰く)その1曲のみ。
他は、反戦や反核ソングだ。
そして清志郎は、当時、反原発のオピニオンリーダーに
見られることを嫌がっていたようだ。

 「十何曲の中で反原発を歌ったのは一曲だけなのに、
  それだけでRCが反原発グループみたいに見られて、
  オピニオンリーダーみたいに祭り上げられちゃうことが
  いやだった」
 「反原発集会へのお誘いも多かったけど、
  そういう所へ行って歌えば受けるのあたり前だし、
  目に見えててつまらない」(忌野清志郎)朝日新聞

    「永遠のバンドマン」近藤康太郎氏コラム
    「ボスのお騒がせ事件簿」より


カバーズが生まれるきっかけは、RCサクセションが
あるコンサートのアンコールで、ボブディランの「風に吹かれて」の
カバーを歌ったことだといわれている。
ファンにもスタッフにも好評だったので
じゃあ、次のアルバムはカバーにしよう。
ザ・バンドの「ムーンドッグマチネー」のような、
かっこいいのをつくろう、となったようだ。
曲は、昔の洋楽。だから、歌詞も、自分が聴いて育った
プロテストソングのようなものにしようと考えたらしい。
それは、同世代が、ちょっと昔をふりかえって、
くすっと笑いながら楽しめる、大人のロックアルバム。
清志郎自身、笑いながらつくったんだと
インタビューで答えている。
なぜ、反原発ソングが含まれたのかということだが、
当時は、チェルノブイリ原発の事故から
2年後、「危険な話」(参考)がロングセラーになっていた。
そんな時代背景から、反原発も
歌のテーマのひとつに入れられたのだろう。

 結構笑いながらつくったんだけどな、あれは。おやじ連中の
 同世代のヤツも笑いながら聞くだろうと、ウケるだろうと、
 内心は思っていたんですけど……(忌野清志郎)91年6月週間文春

    「永遠のバンドマン」近藤康太郎氏コラム
    「ボスのお騒がせ事件簿」より


そして、「カバーズ」発売前に、有名な騒動が起こる。
急遽発売が中止されたのだ。
その理由は、原発のプラントメーカーである東芝が、
発売元である東芝EMIに圧力を
かけたというのが通説になっている。
発売をめぐっては、清志郎と東芝EMIによる
話し合いが何度も行われたようだ。
どうやら反原発ソングを含む4曲をはずせば、
発売してもいいという条件を、
東芝EMIが出していたらしいが、話し合いは決裂。
「素晴らしすぎて発売できません」という
広告が掲載され、発売は中止となった。

当時、怒り狂って寝られなかった、と清志郎は
語っていたそうだが、そこまで怒っていた理由は、
反原発ソングだけではなく、不都合そうな歌、グレーな歌を
ひとまとめにして発売禁止にしたこと。
そのことがどうしても許せなかったようだ。
反原発ソングである「サマータイムブルース」の
発売禁止には納得したが、清志郎が反核ソングだと
主張する「ラヴ・ミー・テンダー」など他の3曲も一緒に
はずしてほしいという提案はどうしても
のむことができなかったのだろう。そのへんのことは、
カバーズの続編ともいえる「コブラの悩み」発売時に
あきらかになる。

かバーズは、結局その後、レコード会社を変え、
キティレコードから発売。
事件が効を奏したのかRCサクセション初のチャート1位を獲得した。
でも、これで終わらないのが清志郎。
怒りをぶちまけるために曲をつくった。
「ラヴ・ミー・テンダー」の(セルフ)アンサーソング
「君はLOVE ME TENDERを聴いたか?」だ。
そして、「カバーズ」に含まれていた曲を
ライブで演奏し、そのライブアルバムを
再び東芝EMIから発売しようとする。
契約の関係で、次のアルバムも東芝EMIから、
と決まっていたのだろうけど、
急遽、清志郎はカバーズの続編をつくろうと
決めたようだ。東芝EMIにかけられた
なんらかの圧力と、もう一度戦うために。

 今井智子 「カバーズの続編を出したいという気持ちは、
       あの直後からあったんですか?」
 忌野清志郎「それはなかったんですけど、
       ああいうふうな事件(発売禁止)になっちゃって、
       東芝EMIさんが間違ってると思うんですよね。
       だから、その辺も改心させてあげたいと思って…(略)」

          「清志郎が教えてくれたこと」より

(敬称略)



3へ続く







(以下の本から引用させていただきました)

Dreams to Remember~清志郎が教えてくれたこと 今井 智子

忌野清志郎 ~ 永遠のバンド・マン ミュージックマガジン

忌野清志郎が聴こえる 神山典士 アスコム





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