SSブログ

忌野清志郎と斉藤和義の反原発ソング。 [音楽(忌野清志郎)]

「反原発ソングに賛否」。そんなタイトルのコラムが、
朝日新聞文化欄に掲載されていた。
作者は、「朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点」等の
著作で知られる朝日新聞の名物記者、近藤康太郎氏。
近藤氏は、音楽通であり、忌野清志郎についても詳しい。
「永遠のバンドマン/忌野清志郎」にもコラムが掲載されているが、
このブログでも、引用させてもらったことがある。(過去記事

コラム「反原発ソングに賛否」は、ひと言で言うとマスコミ批判。
ひとつは、斉藤和義の反原発替え歌「ずっとウソだった」を
新聞や雑誌が大きく取り上げたにもかかわらず、その斉藤の歌を批判した
水野良樹(いきものがかり)のことを報じなかった件について。
もうひとつは、忌野清志郎の三回忌ライブを、
ほんの一部分(斉藤和義、泉谷しげるのパート)だけをクローズアップして、
あたかも「反原発集会」のようにレポートしたスポーツ紙に対してのもの。
そして、その昔、朝日新聞はRCサクセション(忌野清志郎)の
「COVERS」を、反原発アルバムのように報じて、
清志郎の怒りをかったこともあるが、あえてそのことにも触れている。
朝日新聞に、そんなコラムが載るなんて。近藤氏らしいコラムだ。

で、斉藤和義の件。
斉藤は、自身の曲「ずっと好きだった」を反原発ソングの替え歌にした
「ずっとウソだった」を動画サイトに流した。
これにマスコミが飛びつき、大きく報道された。
その後、いきものがかりの水野良樹が
「斉藤さんの音楽が大好きだけど、「ずっとウソだった」は大嫌いだよ」
と、ツイッターでつぶやいて、ネットでは大論争となった。
私は、斉藤和義の替え歌は知っているが、水野の件は知らなかった。
ツイッターでも、そのようなリツイートはなかった。

斉藤和義は忌野清志郎の大ファン。まさにキヨシローズチルドレンの
ひとりだといえるだろう。あの替え歌は、
まちがいなく清志郎の反原発ソング「サマータイムブルース」に
触発されたものだと思うが、つくられた時代背景がまったく違う。

「サマータイムブルース」は、エディ・コクランの曲に
忌野清志郎が歌詞をつけたものだ。
リリースは、1988年。チェルノブイリ原発事故の2年後にあたる。
原発の安全神話に疑いを持つ人も現れたであろうが、
反原発のムーブメントは微々たるもの。日本で反原発ソングを
歌うミュージシャンもいなかった。
そんな中、清志郎は「サマータイムブルース」を収録した
アルバム「COVERS」をレコーディングしたのだ。
そのリリースが、世の中を動かしたかといえば、そうでもない。
しかし、忌野清志郎は、活動家ではない。
原発を止めようとして歌をつくったのではないのだ。
目的は、ロックを歌うこと。すぐれた楽曲をつくること。
「サマータイムブルース」は、リリースから23年後、
ふたたび脚光を浴びることになった。
それは、曲がすぐれていることの証。時を経て、
日本を代表する反原発ソングとして認められたのだ。

そして、斉藤和義の替え歌「ずっとウソだった」。
斉藤も活動家ではないのだろうが、
原発の安全神話が崩れ、世論がすでに反原発に傾き出した今、
ロックとしての意義は高くない。
歌詞は、ただ事実をうらみがましく羅列しているだけに過ぎず、
レベルも高くないように感じる。
このムービーを、動画サイトで初めて見た時、
なぜこんなことをするんだろう?と非常に驚いた。
彼は、自分のつくった元歌「ずっと好きだった」に
思い入れやこだわりがないのだろうか。
反原発を歌いたいなら、曲をつくればいい。
清志郎の「サマータイムブルース」を超えるような、
素晴らしい反原発ソングを。

私は、熱狂的とまではいえないが、
斉藤和義のファンでもあり、
ずっと彼の音楽を聴いてきた。
おそらく今後も聴き続けていくだろう。
「ずっとウソだった」の件は、
とっても勇気ある行動だと思う。
でも、
とってもつまんない曲だ。

清志郎もそう思ってる(はずだ)w


ずっとウソだった

この国を歩けば、原発が54基
教科書もCMも言ってたよ、安全です
俺たちを騙して、言い訳は「想定外」
懐かしいあの空、くすぐったい黒い雨

ずっとウソだったんだぜ
やっぱ、ばれてしまったな
ホント、ウソだったんだぜ
原子力は安全です





nice!(7) 
共通テーマ:音楽

nice! 7

Facebook コメント