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最強のワンポイントリリーフ、橋下徹さんのこと。 [思ったこと]

大阪都構想。住民投票後の、報道、会見。
とにかく、橋下、橋下、橋下。
結局、橋下さん主役の橋下劇場だったような気がします。
松井さんが主導でも、ここまで白熱したのかなあ。
そして、同じ結果になったでしょうか。

橋下さんの昨日の会見。
晴れ晴れとした表情が印象的でした。
僕はワンポイントリリーフなんだ、
というようなことを述べられていましたが、
元々、大阪には残る気持ちはなかったんだと思います。
もし、勝っていたら、国政へ進出。
都構想の舵取りは松井さん、そういう
シナリオだったんでしょうね。

橋下さんが、大阪都構想を掲げたとき、
はっきりとおっしゃってました。
僕の仕事は「大阪都構想の実現」、
それが終わったら辞めます。

えっ!実現してからが仕事じゃないの?って
ふつう思いますよね。
住民投票が行われることが決まったとき、
都構想が実現したら辞めるのは
無責任すぎませんか、という声が出て、
それじゃ続けます、となった。

このあたりの経緯もそうですね。
橋下さんは、都構想ではなく、
おそらくその先に目を向けていた。
大阪ではなく、日本です。
あとは松井さんにまかせて中央へ。
安倍さんも期待していたはずです。

反対派も含め、たくさんの
大阪市民が橋下さんの政界引退をおしんでますね。
でも、賛成が上まわっていても、
大阪市長という職はなくなるわけだし、
大阪からは出て行くことになったんじゃないでしょうか。

橋下市長。
「地下鉄の可動式ホーム柵の設置」、ありがとう。
子どもが安心です。
「私立高等学校等授業料支援補助金制度」、ありがとう。
将来助かるかも。
「小学校へのエアコン設置」ありがとう。
息子も大喜びです。
その他、いろいろ助かりました。

でも、市立幼稚園撤廃、カジノ構想、病院の統廃合、
インフラの民営化などなど、
強引に進めてもらいたくないものがたくさんありました。

そして、大阪都構想。不透明に思える部分が
多すぎて、納得できませんでした。

以上、政治のことあんまりわからん
大阪市民のひとりごとでした。

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どうして、大先輩に対して、タメ口なんだろうね。 [思ったこと]

ずいぶん前のことだけど、住んでるマンションの玄関で、
お年寄りがボーッと立っていた。
なんとなくお困りの様子だったので、「どうされたんですか?」と
たずねると、「家がわからなくなった」とのこと。
連絡先を書いたメモを所持されていたので、
電話してみると、ご家族も心配されていたご様子。
警察に捜索願を出して、家族総出で探されていたようだった。
今からすぐに行きます、とのことだったので、そのまま
つきそっていた。しばらくすると、やってきたのは
ご家族ではなく、パトカーに乗った警察官、4人だった。

そこで、「迷われてたのは、この方です」と
警察官に告げると、
そのうち一人が
「ん? で、あなたは、なに?」
「第一発見者?」
「で、このマンションに住んでんの?」と次から次へと
聞いてくる。なんか、状況が全然わかってないようなんで、
ここまでの経緯を説明すると
納得したようだが、その目つきが犯人を見るかのようで、
すごくヤな感じ。そのあと、書類にいろいろ書かされて、
拇印まで求められたw
なんで、人助けして、そんな不快な思いをしなければならないんだw

で、その後、警察官たちは、そのお年寄りに
話しかけたのだが…。
「なんで、ここ来ちゃったの?」
「ずっと、ここにいたのかな?」
「家、どこかわかる?」
などなど、タメ口の連発。

前々から疑問に思ってたんだけど、
ある種の職業の人たち、
たとえば、警察とか医療関係とか。
高齢者に向かって
タメ口を使うのはなぜなんだろう?
「おじいちゃん、おばあちゃん、大丈夫」てな感じで。
すごく違和感ある。

う〜ん……、
高齢者というか、誰にでも
タメ口な人もいるね。なんで?

タメ口の方が親しみやすくて、
打ち解け合えるだなんて、考えていたら、
それは、大きな間違いだと思う。
失礼だよ。
そういうマニュアルがあるのかな?
そういう口調にしろって、教育されてるのだろうか?


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反放射能か?放射能受け入れか? 今、そこにある危機。 [思ったこと]

日本漢字能力検定協会が選ぶ今年の漢字。
2011年は「絆」に決まったらしい。悲しい出来事が
あった年ほど、人々が前向きになれるポジティブな
言葉が好まれるのかもしれない。
しかし、その「絆」という言葉の発表には、
違和感を覚えた人もたくさんいるのではないだろうか。
今年の大きな出来事といえば、東日本大震災と
それにともなう原発事故。「絆」という言葉は、
その前者を象徴するものだと思う。
しかし、原発事故は、その恐怖が現在進行形だ。
西日本に住んでることもあって、個人的には、
こちらの方が印象が強烈だ。

原発事故の進行形の恐怖とは、
放射能による土壌や食品の汚染そのものはもちろん、
暫定基準値の信頼性、
検査しているのか、していないのかも知らされずに
買わされている食品。
そして、瓦礫処理で放射能汚染が拡散されようとしているのに、
多くの人々が無関心だということだ。

今年を総括する一文字、と聞いたとき、
パッと頭に浮かんだのが、「嘘」のひと言。
国やメディアや企業が垂れ流し続けた「嘘」が
これほどまで暴かれたことは、かつてなかったんではないだろうか。
もちろん、その中には必要な「嘘」もあっただろうと思う。
「嘘」とは言いきれないものもあるだろう。
しかし、絶対についてはいけない
安全だ、安心だという「嘘」がたくさん
含まれていたように感じる。

そして、その国が、
暫定基準値以下なら、安全だと言っている。
それは、本当なのだろうか?

グラフは、自由に利用可能とあったので、
下記のサイト内のグラフを貼付けさせていただく。
(グラフをクリックで拡大)


kizyunti.gif


kizyun_graph.gif

引用元(世界も驚く日本の基準値



そして、瓦礫処理も安全だと言うのだが…。

秋田大教授らがただす 瓦礫を受け入れてはならない12の理由

放射性物質を拡散する世界の非常識


暫定基準値、そして瓦礫処理。
このふたつの安全・安心が、真実か嘘か、結果が出るのは、
まだまだ先だ。そして、もし嘘だったとしたら、
その被害を一番受けるのは、子どもたちや、妊婦さん、
そして、これから子どもをつくっていく人たちだ。

原発については、正直、勉強不足でよくわからない。
どちらかと問われれば、脱原発。
理由も、子どものためにそんな危険なものを残してほしくない、
という単純なものだ。そして、それが可能なのかもわからない。

放射能汚染問題、これは原発問題とは
別の話だと思う。原発がどうのこうのと言うのではなく、
今、そこにある危機。
反放射能か。(暫定基準値内での)放射能受け入れか。

わが町、大阪も受け入れに向かって進んでいる。
止める事は、できないのだろうか?

震災がれき:大阪府、年内にも処理指針(毎日JP)



もう、自分たちで子どもを守るしか道がない。

子どもたちを放射能から守る関西ネットワーク


子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク


放射能から子どもを守ろう


save child 子どもを守ろう


放射能NO! 防御プロジェクト


おかんとおとんの原発いらん宣言



(12月21日追記)
毎日新聞に「放射能規制。「緩い」は誤解。改定後はより子供に配慮」
という記事が出ていた。厚生労働省へのインタビュー記事のようだ(参考
上記の「世界も驚く日本の基準値」というサイトでの比較とは
対象としてるものが違う。こちらの記事の方が、比較としては
正しいように感じた。
ただ、規制値を厳しくたところで、親の不安は変わらないと思うのだが。



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子どもを守れるのは親しかいない。(放射能汚染の恐怖からも) [思ったこと]

うちの子は、食物アレルギー。カラダが受け付けない
食品がいくつかある。それだけに食べるものには、
非常に気を使う。ちょっとしたお菓子でも、買う時は
必ず材料確認。外出時、ショップなどで子どもに
駄菓子を手渡してくれる時があるが、
原材料がわからないものは、後で必ず没収する。
デパ地下などの試食コーナーも、要注意だ。
もちろん、外食時も、店のスタッフに、
原材料から調味料まで、子どもがダメなものが
含まれていないか、事細かに確認する。

他人から見れば、たかがアレルギー。そこまで必死にならなくても、
と思われるかもしれないが、
食物アレルギーは、命に関わる大問題。アレルギー反応を起こすものが
ほんのわずかでも体内に入ると、アナフィラキシーというショック症状が
起こることがあり、ひどい場合は死に至る。
だから、外出時は万が一に備えて、薬を持参していることがある。
幼稚園も、安全を考えて弁当制の公立を選んだ。
結果として、抽選にはずれて入園は、さ来年になってしまったが、
給食制の私立よりも安全だという主治医のアドバイスもあったし、
後悔はしていない。

食物アレルギーや、アトピーの子どもが日本で激増している。
原因は食生活の変化や環境の悪化だと言われている。
食品添加物や農薬、合成化学物質、環境ホルモン。
要するに、それらを摂取し続けてきた親のカラダに原因があるのだ。
しかし、いままでの生活の中で、危険な環境に住んでいて、
危険なものを食べ続けている、と強く意識することがあっただろうか? 
そのことにも、恐怖を感じる。
今、この国の政府や企業が安全だと、言い切る
いろんなこと、いろんなもの、
ほんとうに大丈夫なのだろうか?と疑問に思う。
TPP? 遺伝子組み換え食品?

子を思う親の一人として、もうひとつの気になること。
それは言うまでもなく放射能汚染問題だ。
少し前に、粉ミルク「ステップ」から、セシウムが検出され
ニュースとなった。このニュース、テレビでは、
「粉ミルクからセシウムが検出された」という市民からのメールを受け、
メーカーが調べたところ、30・8ベクレルという数値が出たので
自主回収することにした、と報道されていた。
発見者はメーカーではなく、市民だ。
しかし、次の日、某新聞では、市民からのメールにはふれず、
メーカーの検査で見つかった、としか記載されていなかった。
明治は月に1回検査を行っており、検査時には
検出されなかったようだ。

粉ミルクから、検出された30・8ベクレルという数値。
国の暫定基準値(200ベクレル)の6分の1以下で
問題とされていない数値だ。これを公表して、
回収し交換するということは、まだ良心的なメーカーなのかもしれない。
こわいのは、食品メーカーが、検査しているのか、いないのか?
してるとしたら、どれくらいの頻度なのか?
私たちには知らされていないということだ。
そして、検査されているとしても、
1〜199ベクレルという数値なら、問題なしとされ
そのまま販売されている可能性があるということだ。

うちの子は、粉ミルクを飲んでいる。アレルギーで牛乳を飲む事が
できないので、アレルギー用粉ミルクで、摂れない栄養を補給している。
しかし、そこに、放射性物質が含まれているなんて考えたこともない。
セシウムが1でも、199でも困る。ゼロだと信じて買ってるんだ。
今回の報道でわかったのは、メーカーの検査はそんな程度なんだ、
ということ。そして、思ってる以上に、食品が汚染されているということ。
それを調べるには、もう自分でやるしかないと感じた。

月に何度がスーパーでの買い物につきあうが、
店内で、売れ残っているのは、東日本の被災地に近い産地の
食材のように感じる。
値段が高いにもかかわらず、西日本の野菜や果物から
売れていく。調べてるわけではないが、感覚的には
ずっとそういう状況だ。
食材を買って、東日本を応援しよう。そういう思いは、
十分にある。しかし、それを、まだカラダが出来ていない
幼い子どもに食べさせるわけにはいかない。
その気持ちは、東日本の人間も同じではないかと思う。
放射線量の数値が表示されない限り、モノサシとなるのは
産地しかない。東日本の食材を売りたいのなら、
検査と結果の表示を義務化すべきではないだろうか。
ゼロなのか、1なのか、199なのか。あとは個人の判断だ。
そういえば、泉谷しげる氏が「東日本の食材を食べて応援しよう」と
呼びかけたイベント「日比谷ライブ&マルシェ2011」が
大ブーイングを浴びたのも記憶に新しい。
もうそんなカンタンな問題ではないのだと思う。

放射能汚染について、少しぐらいなら、基準値以下なら安心だと、
国は言うが、子どもの場合、放射線の影響を受けやすく、
ゼロに近ければ近いほど良いとも言われている。
親が求めているのは、子どもの将来まで続く安心だ。
子どもが大きくなった頃には、安心を唱えた学者なんて
誰も覚えてなくて責任を問われないだろう。

たとえ、バカだと笑われようが、モンスターだと言われようが、
放射能汚染から、子どもをガードしようと思う。
子どもを守れるのは、親しかいない。まさに、
今はそんな時代だと感じる。

そして、親がどうしてもガードできない、
問題が日本全国で、起きようとしている。瓦礫処理問題だ。

放射性物質を拡散する世界の非常識

震災被災地のがれき焼却処分に手を上げた全国の自治体名




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義援金が、すぐには役立っていないという話。 [思ったこと]

日本の募金・寄付・義援金に関するシステムは、
とてもわかりにくい。不明、不透明な部分も多すぎるような
気がする。受け皿となってる組織が、集めたお金を、
それぞれ、いつどこへどのような方法で渡すのかが見えてこない。
調べればわかるのかもしれないが、そこまでする人は少ない、
というかほとんどいないのではないだろうか。

経済的に余裕のある方なら、何回も、そして
複数の組織へ寄付すれば良いのだろうが、
私のような立場では、そうもいかない。
寄付だって大変なのだ。
数ある組織の中で、どこへ寄付すればよいのか
決められず、行動に移せないのだ。
そんな理由で、私は、震災後、しばらく寄付をためらっていた。
結局、Tシャツ購入を通じで、寄付することとなったのだが、
ためらっていたのは、もうひとつ理由がある。

今朝、あるブログにたどりついた。タレント清水国明さんのブログだ。
清水さんが問題提起されているのは、義援金の行方。
そして、それが、すぐに被災者救済に
つながるわけではないという事実。少し引用させてもらいます。

 先日、救援物資を被災地に運んで行った時、沢山の水や
 食べ物が山積みになっていました。
 けれど、避難所の子どもたちに聞くと、
 すぐには食べさせてもらえない、とのこと。
 なんで?

 公平公正が絶対ルールの行政主導で分配するので、
 全員に配れる数が揃うまでおあずけなのだそうです。
 義援金はプールされ、募集期間を終えてから、
 行政関係者などが組織する分配委員会で討議されて
 公平公正に、公共事業などに使われるのだそうです。

 これって?
 非常に大切な事業であることはわかりますが、
 今すぐ助けたい募金者の思いが届いていません。
      (中略)
 すべての募金が集まっている「日本赤十字社」さんへ
 お願いしてみました。
 公平公正、公共性という理由で「個人や企業に義援金を
 今の段階で配ったことは一切ありません」ときっぱり。
               引用:清水国明オフィシャルブログ

清水さんのブログを読んで、私は、正直、あまり
驚きはしなかった。おそらくそういうものであろうと
感じていたからだ。
清水さんの話は、阪神淡路大震災の後、
行政をクライアントに持つ神戸在住の広告マンから
聞かされた話に似ている。
話を聞いたのがいつだったか記憶は定かではないのだが、
おそらく震災から1〜2年後。
「街はキレイになったように見えるが、実際はまだまだ復興していない」
それじゃ、募金が必要ではないのか?と聞くと、
「いや、お金は足りている。驚くほどの金額がプール
されたままになっている。使い道に困ってるようだ」、
というようなことを言っていた。

義援金がすぐに活用されない。問題だと思う。
でも、解くのがとても難しい問題だとも思う。
被災地の中で、まずどこを最初に支援するのか?、
そしてその数字は? 
組織である限り、すぐにその答えを出すのは
無理なのかもしれない。
それなら、個人での募金活動を!
となるのかもしれないが、それを推奨すると
おそらく、詐欺まがいの活動が急増するだろう。

阪神淡路大震災の時も、間違いなくこういう
問題が存在していた。でも、それは、
あまり問われることがなかったんじゃないだろうか。
原発とともに必ず解かなければならない
問題のひとつなのかもしれない。

朝、清水さんのブログを読んで以来、
紹介すべきなのか、ずっと迷っていた。
それは、読んだ方が寄付するのをやめてしまう
おそれがあるからだ。
でも、やっぱり、問題提起はすべきだと思った。

義援金が、すぐには役立っていない。
そう聞いても、個人的には
寄付は行うべきだと思っている。
なんの根拠もないのが、
つらいんだけど…。
だから、清水さんのブログに寄せられていた
コメントの中から、組織を擁護しているもの
を引用させてもらいます。
(ブログのコメントを管理者の許可なしに
引用するのは問題あるのかもしれないけど。)

 日本赤十字社に集まった義援金は、ある程度集まった時点で
 分配委員会を開き、市町村へ分配され、そこから被災者個人の口座に
 振り込まれるらしいです。分配される期限は、募集期限とは関係なく
 ある程度集まった時点で配布されるそうです。なので、『募金する
 のはもう少し後でも良いや』ではなく、少しでも早く募金すれば、
 被災者のもとへ届くのも早くなると言ってました。


 「平等に」という考えが色々弊害を生んでいる事も確かです。

しかし、
 後々更にお金が必要になります。そして多くて困ることはありません。

 赤十字は今回の義捐金は全額東北に回すと公言しているので、
 最終的には被災者or被災地に還元されると思います。
         清水国明オフィシャルルブログコメント欄より引用


清水さんのブログを読まれるなら、合わせて
いろんな方のコメントを参考にされれば、と思う。



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大震災で、日本の心がひとつになったはずなんだけど。 [思ったこと]

ブログを書いてて、途中でやめて削除することは
よくあるんだけど、昨日は、ぜんぶ
書き上げたのに、削除してしまいました。
それは、ツイッターに触発されて書いた長い長い文章なんだけど、
う〜ん、なんとなく。

で、今、ギタリストの石田長生さんの
ブログを読んで、
ああ、みんな似たようなこと感じてるんだな、と思って。
やっぱりちょこっとだけ書いてみよう。

 今回の大震災の大きな被害のなかのひとつ
 (もちろんとんでもない大事件だと直感した。)だった
 福島の原発の問題がひとり歩きして、
 結果としてもうひとつの大きな問題になってしまった。
 気が付けば「地震関連と原発のニュース」と
 テレビのキャスターは分けて言うようになった。
もうひとつのこと Everybody毎度! on the blogより引用)

震災直後、日本の心がひとつになった、
そんな気がしたんですけど、ツイッター上では、
そうではなくなりましたよね。
それは、原発という新たな問題が起こったらなんですよね。
一刻も早い被災地の復興を願っての活動と、
一刻も早い原発の全廃を願っての活動。
このふたつが同時に動いてるんじゃないでしょうか。

でも、本来なら、
一刻も早い被災地の復興を願っての活動と、
一刻も早い原発被害の抑制を願っての活動。という
ふたつが存在すべき。でも、原発には無知な
私たちには後者は取り組みにくい。
というわけで、変な方向へ行っちゃったんでしょうね。

で、一刻も早い被災地の復興を願っての活動と、
一刻も早い原発の全廃を願っての活動、という
このふたつ、似てるようだけど、
ぜんぜん違うような気がします。
被災地を復興させるために、原発を廃止させよう!って
つながらないでしょ?
日本の将来のために、というのなら、まだわかるんですよね。
でも、日本の将来のため、というのなら、
まず今は被災地でしょ?

原発の是非を問う。もちろん、
それは絶対必要なことですよね。
私も、子を持つ親の一人ですし、子どもの将来を
考えると、こんなに危険なもの、
できるのなら廃止してほしいですよ。
でも、なぜ、それが、今なんでしょう?
救うこと、見守ること、応援すること、
みんなで復興することが最優先では
ないんでしょうか?
そもそも、即、全廃なんて可能なんでしょうか?
経済を縮小せずに? 

そして、悪いニュースばかりをクローズアップして
原発を責めるのは、どうなんでしょう。
特に過去のことなんて、ほじくり返してもしょうがない。
被災地にも原発で働いていた人たちがたくさんいるわけだし、
東電の社員もいる、その家族もいる。
その人たちは、責められているような気がして、
ものすごいストレスを抱えているんじゃないでしょうか。

「どうしても、今じゃないとダメだ!」っていうのなら、
表現方法を変えた方がいいような気がしますね。
「原発は危険だ!」なんて、わかってることだし。
たとえば、「反戦」というネガ表現もあれば、
「ラブ&ピース」というポジ表現もある。
反原発も、ポジ表現で訴える方がいいんじゃないかなあ。
この場合、安全安心なエネルギーじゃ、漠然としてるので、
もっと具体的な言葉を掲げて。
落としどころ、着地点をしっかりと示さないと、
大きなムーブメントにはならないように思います。

まあでも、ここまで書いたことは、あくまでもツイッターで感じたこと。
リアルでは違うような気がしますね。
みんながんばってますよね。昨日の、サッカー選手たちのように。




落としどころをしっかりと考えてらっしゃる方々もいます。

日本が今後採るべき電力供給戦略について

原発がなくても大丈夫な理由!

田中優氏の講演「エネルギー問題」編(YOU TUBE)




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されど、マスメディアの力は大きい。そしてその役割も。 [思ったこと]

ある側面でツイッターは、マスメディアを抜いたんじゃないか、
と感じた。そして、そう書いた。でも、それとは違う側面での
マスメディアの大きな力も感じていた。それは、マスという名が
示すように、大衆の心を動かしていく力だ。
ツイッターは、口コミの進化形。情報を拡散できても
たくさんの人の心を束ねていく力はマスメディアには
かなわないような気がする。

被災地の現場から、被害状況を伝え続ける報道姿勢に、
ツイッター等ネット上では、批判が集中していた。
「被災地では今、そんな情報を求めていない!」
「悲惨な映像は見たくない!」などなど。
こういうことを書くと、「不謹慎」と怒られるかも
しれないが、マスメディアの報道は、日本全国へ向けて
発信している。被災地の人々のためでもあるが、
被災していない地域の人々のためでもある。
悲惨な状況をありのまま
伝えるのもテレビの役割のひとつ。
私が、テレビ世代だからそう思うのかもしれないが、
震災の深刻度は、ツイッターやネットでは
伝わってこなかった。「これはたいへんだ、
なんとかしなければ」と感じたのは、
テレビを通じて、現場の生の声を聞き、
リアルタイムでその映像を見たからだと思う。

報道姿勢が非難される、
ACのCMに苦情が寄せられる。それは、今、
テレビが注目されているからだ。
全国の人々がいつも以上にテレビを見ているからだ。
日本人の心を束ね、ひとつにしたのは、
マスメディアの力だと思う。

昨日、シンディローパーのライブが急遽、
ネットで生中継され
日の丸の旗を纏い熱唱する姿が届けらた。
ツイッターでの情報拡散が原因だと思うが、
視聴者はどんどん増え続けて、アンコール時には
10万人を超えた。またまたネットが
マスメディアを超えたと感じた。
でも、これは小さな力なのかもしれない。

メディアミックスという広告用語があるが、
復興という国をあげての大事業にも、
大きな力と小さな力の組み合わせが不可欠な気がする。
マスメディア+ネット、
コントロールという言葉は間違ってるかもしれないが、
情報をコントロールできるメディアと
情報が錯綜することもあるメディア。
情報をコントロールできるメディアは、
情報の錯綜を抑え、正しい道へと導ける力がある。
もちろん、情報はウソのない
真実であるというのが、前提であるが、
その役割はとても重要だと思う。




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ツイッターがマスメディアを超えた日。 [思ったこと]

ツイッターは、ほんとうにベンリだと思った、
今のような非常時には、特に。
情報を拡散することによって、
助けられたり、助けたり。
まさに命綱となった人たちもいるようだ。

本来の使い方、役割はそうじゃないんだろうけど、
今、ツイッターは情報インフラにもなっている。
そして、そこにアクセスしている人たちの間では、
注目度は、新聞やテレビより高いかもしれない。
それは、情報が早いから?
もちろんそれもあるだろうけど、
それだけではない。
マスメディアが報道しない、報道できない
情報が次から次へと流されるからだ。
規制されない環境のもと、
なんの圧力も受けない人たちが
情報を流す。もちろん、
その中にはデマもある。情報源がわからないもの、
あやしいものもある。
取捨選択が非常に重要になるが、知りたかった事を
知る近道にもなる。

私も今、ひとりの国民として、子を持つ親として
ツイッターを情報源にしているところがある。
それは、原発関連の情報が気になるからだ。
原発の現状は?今後の見通しは?
その答えは、マスメディアが伝えてくれるが、
その報道と同じ時刻に、原子力調査機関の
記者会見がユーストリームで生中継され、
それとは異なる答えがかえってくるときもある。

テレビや新聞の報道には規制があり、圧力もかかる。
伝えられていることは、すべてが真実とは限らない。
いわゆるタブーが存在する。
それは、多くの人が知っていたことだと思う。
今は亡きロックシンガーは、今から40年ぐらい前に
「本当のことなんか言えない。言えば殺される」
歌い、世の中を、マスコミを、批判した。
それ以降も、ずっとずっと新聞やテレビが
大きな顔をしてこられたのは、
ほかに情報を伝えるメディアがなかったからだろう。

インターネットが情報インフラとして定着して、
ある種のタブーが、いともカンタンに破られるようになった。
不正が暴かれ、ウソが許されなくなってきた。
しかし、新聞やテレビは、そんな時代に
まったく対応できていないと思う。もちろんそれは
広告を収入源としているという構造上の問題が
あるからなのだろうけど。

乙武洋匡さんが、ツイッターでこんな言葉をつぶやいていた。

 テレビ局や新聞社にとって、情報とは利益を生み出すための
 “商品”なのかもしれない。そう考えると、そこに十分な公平性や
 透明性を求めることは難しいのかな。いま、自分の身を守る
 ために最も必要なものは、情報。だから、僕はテレビや新聞からの
 情報を判断材料にすることは、しばらく控えようと思う。
            (3月16日/ツイッターより引用)

マスメディアは、スピードではツイッターにかなわない。
勝負できるのは、情報の質。それは内容の濃さや切り口の
多さだけではないと思う。ウソのない真実を伝えること。
信頼を回復してこそ、テレビや新聞の明日が
あるのではないだろうか。

そして、広告業界も、それは同じだと思う。
メッセージにうそがあってはいけない。
そのことをクライアントにきちんと伝えるべきだと思う。

かなり昔になるが、某広告代理店にいたクリエイターの
こんな話を聞いたことがある。
ご本人から直接聞いたわけではないし、誰から聞いたのかも
忘れてしまったので、噂レベルの話になってしまうのだが、
あまりにも強烈だったし、
その方をリスペクトしているので、断片的に覚えているのだ。

それは、某電力会社の広告プレゼンでの出来事。
お題は原子力発電の安全性の訴求だった。
そのクリエイターが率いる制作チームは、
「電力会社の社員が冷却水の中で泳いでる」、
というCMを提案。
「これつくったら、みんな安全やと、信じまっせ!」と
言い放ったそうだ。
もちろんクライアントは激怒。
その会社は即、出入り禁止になったそうだ。

その当時もそう思った。そのプレゼンは全然間違ってない。

「間違ってることなんか言えない。言えば叩かれる」。
今はもう、そんな時代なんだと思う。

新聞もテレビも、そして広告業界も、
すべてを見直す時期にきているのかもしれない。
それに携わる広告クリエイターも
覚悟が必要なのだと思う。


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被災地支援。今も大切。でも一年後も、その先も大切。 [思ったこと]

昨日の夜は、静岡でも大きな地震があった。大阪では、
震度2程度だったようだ。でも、揺れを感じた瞬間、
寝ている我が子のそばにかけよった。
そんな小さな揺れでさえ、親は本能的に子どもを
かばおうとする。今、被災地で過ごすお父さんお母さん方の
心労を思うと胸が痛む。

ツイッター上のツイート(書き込み)は、震災以来、
熱を帯びている。できることがそれしかない。
そう感じている人が多いからだろう。
被災地の方々を救おう、励まそう、役に立とう
というツイートがほとんどだが、それとともに、
デマやあやまった情報、恐怖心をあおるだけのものも
流されていく。

私自身も、書き込んだり、情報を広げるためにリツイート
したりしてきた、そして、今もやっているが、
ふりかえってみると、矛盾もある。失敗も繰り返している。
なぜ、そうなってしまうかというと、やっぱり私自身、ツイッターの
熱気、雰囲気にあおられてしまってるからだろう。
もう少し、冷静にならないと、と思う。

被災地を支援するユーモア表現が絶賛されている。
でも、それは、震災で暗い気分になっている人々を癒しているのであって、
被災地にはどうなんだろう。家族を失う、
家を失うなど大きな悲しみに包まれている人びと
には届かないのではないだろうか。それどころではない、というか、
むしろ迷惑なようにも思える。今、いろんな立場の人がいる。
そして悲しみのレベルが違いすぎる。だから、今、そんな人たちを
励ますということは、すごく難しいことだ、と感じた。
同業者の方々も、支援活動を開始しているようだけど、その表現に
ギミックやレトリックはいらないと思う。

前にも書いたが、月曜日、ブログを更新していいものか
と迷いに迷った。
他の方も更新しにくいんじゃないかな、と思って
いろんなブログを訪れてみたのだが、震災の記述はあるものの、
ふつうに更新されているものがほとんどだった。
でも、それでいいんだ。そうすべきなんだと思う。
私が、更新しにくかったのは、自粛、不謹慎という言葉が頭に
浮かんだからなのだが、それは、おそらくツイッターの
熱気をひきずっていたからだろう。

被災地から離れている私たちにできること。
それは、「被災した人の役に立ちたい」という
熱いキモチを、ずっとずっと冷まさないこと。
今、支援するのも、ひと月後に支援するのも、
一年後に支援するのも同じなんだ。
間違いなく長期的な支援が必要になるわけだから。
そして、今、できること。それは、
生活できることに感謝しながら、本分をつくすこと。
ムダな仕事なんてない。みんなそれで生きてるんだ。


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いつものように大阪の街が動き出した。 [思ったこと]

いつものように目覚まし時計のアラームで目を覚ます。
子どもと少しだけ遊んであげて、食事をして、
事務所へと向かった。
大阪の街はいつもと変わらぬ表情、行き交う人たちの
表情も、ふだんと同じだ。でも、いつもとなにかが違う。

金曜日に発生した東北地方太平洋沖地震。
その時刻、私は仕事の打ち合わせを終え、
ある書店にいた。なんとなくカラダに揺れを感じて、
店内にいる人びとを見たのだが、
それは私だけのようだ。だから体の変調なのかなと、
そのときは思った。
事務所に帰り、パソコンを立ち上げ
ネットにつないでみると、思いもよらぬ大事件、
あわててテレビをつけた。

何かできることはないか?と考えたが、
すぐにできることは、
ツイッターでリツイートを
求めている人に応えてあげることしかなかった。
リツイート。私は、あえて、
個人的な拡散要請に数多く応えた。
デマやガセもあるかもしれない。でもそれが
真実なら、ツイッターは命綱。心の叫びだからだ。
そんなふうにして一日が終わった。
正直、仕事は手につかず。

土日も、同じくリツイートで
協力した程度。
こういう過ごし方でいいのかな?
と悩みながら、家族と過ごした。

そして、きょう。
休みが終わり、被災地から遠く離れた大阪は、
いつもと変わらず動いている。
そして、そこに住む私も、
いつもと変わらず仕事している。
そしてブログを更新している。

そんなんでいいのかな、
とも思うが、
それじゃ、どうする?何ができる
ってことになる。

いつものように、で、いいんだろうな。
似たような心境の人が、
全国に数多くいるような気がする。





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