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父が旅立ちました。 [家族・夫婦・子どものこと]

新年そうそう暗い記事もいかがなものか?
と思ったが、昨年暮れに父の入院のことを書いていたので、
その結末をブログに残しておくことにする。

12月半ばに、尿路感染症(MRSA感染)により
高熱が出た父、抗生剤が効かず
12月24日に、「おそらく、きょうまででしょうと」と
担当医に告げられた。
MRSAにより、敗血症がおこった状態。
腎不全をおこし、肝臓にも負担が出始めたとのこと。
最後に、もうひとつの薬を試すが望みは薄く、
年齢、体力からいって、
もう数時間という状況であった。
この日、母と一緒に、父に別れを告げて帰ったのだが
しかし、その後も父は病と闘い続け、小康状態が続いた。
おそらく最後の薬が効いたのだろう。

しかし、危険な状況に変わりはなく、家族にとっても
つらく重苦しい日々が続いた。
母の体力を考え、この頃から、緊急の連絡網を
母から私へとバトンタッチした。

そして連絡があったのが12月31日。
十二指腸潰瘍による穿孔の疑いがあるとのこと、
さらに状況は悪化した。
急いで私がかけつけたのが、
またもや父はがんばったようで、何度目かの
危機をのりこえた。

無事、正月を迎えて、1月2日、
母とともに病院へ。
24日、31日とは違って、意識があり、
母や私の呼びかけに反応してくれた。
手を伸ばし、何かを訴えようとしていたが、
さすがにそれは聞き取れなかった。

そして次の日、
1月3日、午前6時15分。
敗血症により、病院で息を引き取った。

父の経歴、功績、そして父の性格からいえば、
家族葬を行い、その後、たくさんの人を招いて
お別れ会という流れがベストだったかもしれない。
実際に、親戚からはそうアドバイスされた。
しかし、私自身も、胃がボロボロで
このままでは穴があくのではと感じていたし、
母の精神的疲労を考えると、すぐに済ます方がいいと判断した。

というわけで亡くなった
3日の夜、19:00がお通夜、
翌日4日14:30分から葬儀。
翌々日5日9:00骨あげ・初七日法要となった。

11月に入院、結局、その後一度も家に帰れず、
そして二ヶ月もたたないうちに
この世を去ってしまった父。
正直、あまりにも早すぎて、母は
気持ちが追いついてないというか、
なかなか気持ちの整理できないようだ。

今回の父のことで、
いろんなことを感じたし、学んだことも
あるように思う。
一生懸命やったつもりだけど、
う〜ん……
こんなに早いとは思ってもみなかったし…。
また、
落ち着いたら、父の事を書いていこうと思う。




タグ:父のこと

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