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清志郎への追悼メッセージ。 [音楽(忌野清志郎)]

清志郎さんの仲間たちから、清志郎さんへの追悼メッセージ。
各ブログ・ホームページ、ニュースソースより抜粋

三宅伸治さん
「告別」Message from Soul Moon
ボス。いつも、一緒にあっちこっち旅をさせてもらってたから、
見送るのは、とてもつらいです。また、会えますよね。絶対ですよ。
気をつけて、行ってきてください。約束は、必ず守ります。
ボスあなたは、最高です。

石田長生さん
Everybody 毎度on the blog
心が痛い。ソウルブラザー、心からご冥福を祈る。

矢野顕子さん
矢野顕子の日々
ゆいいつむひの人だからね。ただユニークな歌とか、そんな形として
現れたもんじゃないのよ。その全存在が忌野清志郎なの。
Oh man, you're such a real thing, Kiyoshi-chan!
きょうはあなたに手紙を書こう。

リクオさん
RIKUO KIMAGURE DIARY
清志郎さんの訃報を知ったのは打ち上げの際中だった。
その後もしばらく飲み続けた。清志郎さんの話はほとんどしなかった。
 
ホテルに戻ってからは、YouTubeでRCサクセションや
清志郎さんのライブ映像をいくつか見て、パソコンを閉じた。
すぐには寝付けなかった。

トータス松本さん
「忌野清志郎様」日々トータス
そのまま書けば、言葉が出ない。それに尽きる。
音楽やその他の大切な事を「わかってる」人が、
ひとり亡くなってしまった。
もう一度、いっしょに歌いたかった。
どうぞ安らかに。夢の中で、
またいっしょに歌わせてください。

梅津和時さん
追悼メッセージ「清志郎君へ」より抜粋
書きたい事は山ほどある。君の知らない所で、君に人生を
変えられた人間も山ほどいる。音楽の世界だったら、よりいっそう。
それはとんでもない影響力だったのだ。
君はさほど気に留めてはいなかったろうけど・・・。
あらためて、君と同じ時代、同じ場所で生きられたことに感謝します。
僕はこれからも生きて行きます。自分でこの言葉を強く
言い続けていないとすぐダメになっちゃいそうなので・・・。
また、会おう!

早川岳晴さん
「清志郎」gwoh-in
あまりのことにこの更新もする気分になれなかった。
触れないのも不自然だが簡単には書けないという思いから。
清志郎を初めて見たのは78年頃、RCサクセションと
俺がいた上田正樹Push & Pull のジョイントコンサートでだった。
当時のPAシステムや或は技術ではロックバンドの
ヴォーカルなんて大抵何を歌っているのか
さっぱり聴き取れなかったが彼の言葉は明確に
聴こえるのでまず驚いた。そして常套句ばかりの
当時の多くの歌詞と全く違う彼のコトバにも
ステージングにも「なんだこいつら、すげえ!」と感嘆したものだ。
DANGER('82)、DANGER II('85)、Glad All Over('94)と、
一緒に形に残せたものは少ないが俺にとって鋭い
才能と触れ合えた貴重な財産である。

布袋寅泰さん
さよなら...清志郎さん」hotei.com
泉谷しげるさんのバックでギターを弾かせて頂いていた頃楽屋で、
「キミ、いいねー」とお声をかけて頂いた。嬉しかったです。
その後も何度かステージに誘って頂き、隣でギターを
弾かせてもらいました。包み込むような優しさと、
どこか遠くを見ているような眼差しが忘れられません。
ギタリズムVに作詞で参加していただけないか?と
無理を承知でお願いしたところ、具合が良くなったら
真っ先に書いてくださる、と嬉しいお返事を頂きました。
ありがとうございました。
偉大な、あまりに偉大な清志郎さんが、
こんなに早く逝ってしまうなんて、信じられません。
さよなら...清志郎さん...。
天国で、音楽の巨星たちと、華やかなセッションを楽しんでください。
心からご冥福をお祈り申し上げます。

辻仁成さん
愛情路線
覚えているのは、広島ピースコンサートのとき、20年くらい前かな。
彼がなんかステージで放送禁止用語羅列の歌、やったあと、スタッフや
放送局側は上から下への大騒ぎになっていた。へえ、すげえな、と思って
楽屋に戻ると、そこに、本人がひとり、いた。エコーズの辻です、
と頭下げると、ああ、辻さん、と返ってきた。おれのような若造なんかに、
ちゃんとさんづけしてくれた。清志郎さん、あっちすごいことに
なっていますよ、と言うと、本当? すごいことになっている? 
と申し訳なさそうに笑っていた。やらずにいられないロックの血の
ようなものがあふれ出ていた。そこにロックみさせてもらいました。
ロックがあれば何でもできるということを教わったっていうのか・・・。
おこがましいですが感謝いたします。
静かに眠ってください。お疲れ様でした。

田島貴男さん
Tajimas voice
キングの曲が頭の中でずっと鳴っているよ。キングとすこしだけ
一緒に過ごし
た楽しい思い出が強く蘇っている。キングがオレに
話してくれたくだらないかっ
こいい話で思い出し笑いしたよ。
ステージの上で布団を冠って寝ていたキングが、
同じ衣装を
着ていつまでも寝ていたよ...。あとは言いたくない。
そのうち言うか
もしれない。

山口隆さん(サンボマスター)
「忌野清志郎さん」ただいま放課後

小宮山雄飛さん(ホフディラン)
「忌野清志郎さん」軟式ブログ

ワタナベイビーさん
ワタナベイビーオフィシャルブログ

渋谷陽一さん
「忌野清志郎」社長はつらいよ
清志郎は闘う姿勢を全く変えないまま僕らを残して、この現世の
ステージから去って行った。後は残った僕たちが闘いを続けて
いくだけだ。ゆっくり休んでもらいたい。一緒に同じ時代を
生きられて幸運だった。

大貫憲章さん
「キヨシローくん、お疲れさまでした」オフィシャルブログ
日本の音楽シーンの中での数少ないホンモノのロッカーで、
音楽ファンで、妥協のないメジャーなアーティストのひとりでした。
J-POPなんてレベルの人ではなかったし、そういうくくりを
一番嫌ったミュージシャンでした。ニッポンのロックンロールの
まっとうなミュージシャン、忌野清志郎さんに、今はただ、お疲れさま。
あなたがいたことは、マスコミは三日で忘れても、
ぼくたちは生涯忘れることはないですから。
ぼくから言わせてもらいます。「キョシローくん、愛してまーす!!!永遠に」

角田光代 さん
(読売新聞 2009年5月4日より抜粋)
私は音楽とまったく関係のない仕事をしているが、でも、小説家としてもっとも
影響を受けた表現者は忌野清志郎である。
86年に日比谷野外音楽堂でライブを見てから、ずっと彼の歌を聴き、
彼の創る世界に憧れ、彼の在りように注目していた。
あまりにも多くのことを教わった。ロックは単に輸入品でないということも、
音楽は何かということも、日本語の自在さも、詩の豊穣さも、
清志郎の音楽で知った。
それから恋も恋を失うことも、怒ることも許すことも、
愛することも憎むことも、
本当にその意味を知る前に私は清志郎の歌で知った。
(中略)
深夜、私たちは迷子になった子どものように途方に暮れていた。
きっと多くの人がそうだろうと思う。清志郎のいない世界で
生きていかねばならないことに、心底途方に暮れている。
このバンドマンが創ったものが失われることはない。
私たちはこの先ずっと清志郎の音楽に触れその声を聴くことができる。
わかっていても、今はただただ、どうしよう、と思うばかりだ。

横尾忠則さん
tadanoriyokoo.com
忌野清志郎さんが亡くなった。阪神大震災の時、神戸で展覧会を開き、
細野晴臣さんに協力してもらった時も清志郎さんに歌ってもらった。
「一緒に何かやりましょうよ」とその後もいわれていた。
そして先週彼の展覧会が企画され、そのポスターの依頼を受けていた。
デザインはやらないことにしていたが、彼のポスターなら
やってもいいかなと思っていた矢先だった。生きて一緒にやりたかった。

甲本ヒロトさん(告別式での弔辞)
ナタリーニュースより抜粋
キヨシロー。キヨシロー。あなたとの思い出にはろくなものはございません。
突然呼び出して、知らない歌を歌わせたり、なんだか吹きにくいキーの
ハーモニカを吹かせてみたり。レコーディングの作業中にはトンチンカンな
アドバイスばかり連発するので、レコーディングが滞り、我々はそのたびに
聞こえないふりをするので必死でした。でも今考えると全部冗談だったんだな。
(中略)
今日はありがとうを言いに来たんです。数々の冗談をありがとう。
いまいち笑えなかったけど。今日もそうだよ。ひどいよ、この冗談は。
うん、でもなるべく笑うよ。キヨシロー、ありがとう。

井上陽水さん
nikkansports.com
「僕のアパートに彼を呼んで、僕がカレーを作って食べたのを覚えている。
無口でぶっきらぼうでシャイで、優しい。
彼なりのダンディズムがあった。亡くなって残念。若かった」

泉谷しげるさん
オリコンスタイル
「オレとしては忌野清志郎が亡くなったコトは受け入れないから!
彼はオレの青春そのものだったし、年下なのに師として仰いで来たし、
これからもだよ。忌野さんには一生勝てないし勝つ気もない」
泉谷しげる緊急特別連載ー忌野清志郎・伝

オノ・ヨーコさん
sponichi.co.jp
「ロックが世界を変える」と言ってあなたが熱唱してくれた
イマジンを私は決して忘れることはありません。アジア、
アフリカの子供たちに学校を贈るという私たちの夢を
あなたも共有してくれました。感謝しています。

よしもとばななさん
よしもとばなな公式サイト「日記」
忌野清志郎さんが亡くなられた…ありがとう、あなたの偉大な才能が
なかったら、私の人生はとてもとても味気ないものになっていたでしょう。
ただひたすらに、ありがとう、そして安らかに。ほんとうに大好きでした。
お会いしたことはないけれど、訃報には大泣きしました。
そして、ずっと仲間だと思っていました。私の人生で原さんの次に
いっぱいライブを見ているのが清志郎さんです。最後は、臨月で行った
どんと祭りのステージでした。でかい腹で行ってよかった。
ほんとうにつらかった時期「気の合う友達って たくさんいるのさ 
今は気づかないだけ 町ですれちがっただけでわかるようになるよ」と
歌っている「わかってもらえるさ」を何度聴いただろう。
権力に負けるたびに「つきあいたい」を聴いた。
飼っていた雄のハスキー犬が死んだときには
ひとりずっと「LUCKY BOY」を聴いた。
彼の歌うことは全てほんとうだった。偉大な才能は
人生をかけぬけて逝ってしまった。
あとは残された私たちが志をついで真摯な仕事をすることだ。

坂本冬美さん
「ロックのカリスマ」冬美だより
5月2日忌野清志郎さんが58年の人生に幕を降ろしました。
新人の演歌歌手だった私に声を掛けて下さり、違う
世界を見せてくれた清志郎さん。尻込みする私の背中を
ポンと押して、違うステージに上がらせて下さった清志郎さん。
あなたの影響を受けたアーティストは大勢いるでしょう。
そして私も間違い無くその一人です。偉大なカリスマの歴史に、
少しだけ参加出来た事は私の最大の誇りでした。
ロックのカリスマとして、ステージでの激しい
シャウトもそうですが、私はあなたの恥ずかしそうに、
はにかんだ笑顔をいつまでも忘れません。
安らかにお眠り下さい。

難波弘之さん
難波弘之公式サイト
忌野清志郎さんが亡くなってしまいました。とても残念で、悲しいです。
その昔、RCサクセションのレコーディングで「雨上がりの夜空」「ステップ」
「上を向いて歩こう」などを弾きました。対バンになったり、
飲み屋で酔っ払ったりはしていたのですが、ついにライブで
ご一緒できなかったのが心残りです。最後にお会いしたのは、数年前、
自転車レースを題材にしたアニメの主題歌のレコーディング
(小林旭「自動車ショー歌」の歌詞だけを変えた「自転車ショー歌」)
でした。スタジオまで颯爽と自転車で来られた笑顔が忘れられません。
天国でも、いつものように決めてR&Rされていることでしょう。
ご冥福をお祈り致します。

糸井重里さん
ほぼ日刊糸井新聞 5月24日
やっと、好きだった歌を聴いたり、
歌詞を思い出してみたり、友人と語ったりが、
できるようになりました。
しかしなぁ、誰かが「いなくなる」なんて思って、
ぼくらは生きてないものなぁ。
ひとりのファンとして、この先も、
キヨシローくんのいいところを発見し続けたいです。
音楽は、生きているまま、ぜんぶ残ってますから。

おおくぼひさこさん
おおくぼひさこオフィシャルサイト(09年5月19日)
清志郎さんへ
チャボとほんとに仲良くしてくれて、ありがとう!!!!!
今は、どの辺にいるのでしょう…。
いつか、またみんなで会おうね…






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