SSブログ

娘の命日へ向けて(遠いお空にいる娘へ)。 [亡き娘のこと]

「亡き娘のために、父親としてできること」。昔、そんなタイトルで
mixiに日記を書いた。そして、このブログにも転載した。(参考
父親として、というよりコピーライターとして、
という方が合っていたかもしれない。

亡くなった子どものために、親ができること。
うまく言えないが、それは、子どもに安心して旅立たせてあげること。
そして、離れ離れになってからも、不安にさせないこと、
存在を信じて見守ってあげることなんじゃないかと今は思う。

あれは、確か葬儀の後だったと思うが、
お寺の住職に、こんなことを言われた。
「さみしくて、おつらいでしょうが、
 これから、たいへんなのは娘さんなんです。
 娘さんは、たったひとりで、49日間の修行の旅を
 はじめています。それはとても過酷な旅なのです。
 もし、おとうさん、おかあさんが
 泣いてばかりいたら、娘さんは心配して
 帰ってきてしまいますよ。
 目的地にたどりつけなくなってしまいます」
と、そんなような内容だった。
この言葉を聞き、
「たいへんなのは娘の方なんだ。しっかりして、
 その旅を応援してあげないといけない」という
強い気持ちが芽生えたのを覚えている。
私は、娘亡き後、すぐに仕事に復帰したが、
早く立ち直れたのは、この言葉を聞いたからだと思う。

うちの娘は先天性の障害を抱えて生まれてきた。
生まれつき、短命という天命を背負っていたのだ。
だから、亡くなった日は、天寿を全うした日。
今はそのように思えるようになった。

残された、
(いや、あえて離れ離れになったということにしよう。)
離れ離れになった私たちにできること。
それは、悲しみという負の要素をプラスに変えて、
明るく元気に生きていくことだと思う。
それが、なによりの供養で、短かった娘の人生を
讃えてやることになるのではないかと考えている。

もし、娘の死をきっかけに、自分が不幸になっていったら、
その原因をつくったのが娘になってしまう。
もっと言えば、病を背負って生まれてきた娘の
誕生そのものが、しあわせなことではなかった、という
ことになってしまうからだ。

まあでも、今、娘のためにがんばって元気に生きよう、
なんて意識はまったくない。
無理して明るく装っているわけでもなく、
ごく自然に、毎日を楽しく過ごしている。
そして、娘のおかげで、人間的に大きく成長した。
娘が生まれてくる前の私より、
今の私の方が自分でも好きだ。
つまり娘の誕生は、私にとって
まさにハッピーバースディだった。



P730.jpg

遠いお空にいる娘へ。

「君が生まれてきてくれたこと、
 父親として私を選んでくれたことを
 とても感謝している。
 教えてくれたいろんなことを
 今も心の引き出しにいれている。
 そして、空の上から見守って
 くれているであろうと、
 君の存在を信じて、
 仏壇に日々、手を合わしている。
 そう信じる心が、今のパパをしっかりと
 支えてくれているような気がする。

 今度の日曜日は、キミの命日。
 今年も感謝の気持ちをいっぱい抱えて
 キミに会いにいきます。」




nice!(18)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

nice! 18

Facebook コメント

トラックバック 0