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ザ・バンド、その終章。 [音楽(ザ・バンド)]

ザ・バンドについての続きです。(前のページ)(最初のページ)

ラストワルツ以降、ザ・バンドのメンバーは、ソロ活動をはじめます。
しかし、やはりザ・バンドへのこだわりがあるのかロビー以外のメンバー
たちは、再結成を模索しはじめます。
そして1983年、ロビー以外の4人のメンバーは、ケイトブラザースを
サポートに加え、ザ・バンドとしてライブ活動を再開します。


6.ラストワルツを終えて。
実は、ラストワルツとともに、一枚のアルバムの制作が進んでいた。
当時、ザ・バンドはキャピトルと契約を結んでいたが、
ロビーは、巨額なマネーを提示するワーナーへの移籍を考えていた、
そこから「ラストワルツ」を発売する方が、儲かると考えていたのだ。
ところが、キャピトルとの間に、もう一枚アルバムをつくるという
契約が残っていて、そのままでは「ラストワルツ」をキャピトルから
出さなければならなくなる。そこで、メンバーは渋々、
ラストワルツの準備と並行してアルバムづくりをやっていたのだ。
それは「アイランド」という名前で、「ラストワルツ」後に
発売されることとなる。もちろん、その出来の悪さは言うまでもない。

その後メンバーは、ソロ活動をはじめる。
リックはすでに「ラストワルツ」の頃からソロアルバムに着手。
アルバムを発表後はツアーを開始している。
リヴォンも、スティーブ・クロッパーたちと
RCOオールスターズを結成。ともに来日公演を行っている。


7.ザ・バンド再結成。
1982年、ロビー抜きでザ・バンド再結成。4人のメンバーに、
ケイトブラザースを加えたメンバーでツアーを再開した。
来日公演も行ったが、その演奏には、やはり何かが足らない、
と私には感じられた。もちろんそれは、ロビー・ロバートソンのギターだ。
ギターはサポートメンバーのケイトブラザースが
努めたのだが、リードのパートになると、会場からため息がもれる。
ロビーのフレーズが観客の頭の中に刷り込まれているからだ。
中には「ロビー!」と叫ぶ客もいたりして、そのギタリストが
とても痛々しかったのを覚えている。
そしてそのライブでは、リチャード・マニュエルの状態が
かなりひどかった。彼はピアノとともに、曲によってはドラムを
叩くのだが、そのドラムが良くない。リズムに合わせるのが
やっとという感じだった。酒とドラッグに溺れていたと
言われるリチャード・マニュエル。この演奏のひどさも、そのせいなのか、
とファンの一人として、とても心配したものだ。
そして、1986年、そのリチャードが、自ら命を絶った。

8.新生ザ・バンド、アルバム発売。
その後新メンバーを加えてアルバムをリリース、
来日公演を行った。この頃になるとファンも、ロビーのフレーズを
求めなくなった。アルバムも3枚リリースし、
ひとつのバンドとして落ち着いたようにも思えた。

ちなみにリヴォンとロビーの確執はその後も続き、
絶対に顔を合わせないという関係にまでなっていた。
ボブディラン30周年コンサートにザ・バンドは出演しているが、
そのときはロビー抜き。米ロックの殿堂入りを果たした式には
ロビーが参加しているが、ロビー参加を聞いたリヴォンは
欠席をしたらしい。
参考(youtube)The Weight
これはその時の映像ではないが、
リヴォン抜きのザ・バンドのライブだ。ロビーが抜けて
物足りなさを感じたが、リヴォン抜きの「THE WEIGHT」も同様。
あの声とドラムも、ザ・バンドサウンドを大きく支えて
いたのだと思う。


9.ザ・バンド、フィナーレ。
リヴォン・ヘルムが喉頭がんにかかる。
そして、1999年、
リック・ダンコが急死する。
これにより、ザ・バンドは完全にフィナーレを迎えることになった。
現在、リヴォンは病を抱えながらも、音楽活動を続行中。
ガースも、地道に活動しているようだ。



ザ・バンドに関する3つの記事は、記憶を元に
次の文献および、サイトを参考、一部引用しました。
これ以外にも、昔見た映像、書物などの
記憶をたどって書いているので、
若干事実と異なる部分があるかもしれません。


(参考・引用)
Wikipedia-ザ・バンド
エリック・クラプトン自伝ー(株)イーストプレス発行
レコードコレクターズ02/6号
「ラストワルツ」が終わらせたものは何か」文・萩原健太


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ラストワルツという歴史的イベント。 [音楽(ザ・バンド)]

ザ・バンドについての続きです。(前のページ)

ザ・バンドの解散コンサート「ラストワルツ」。歴史的な大イベントでは
ありますが、そのパフォーマンスはあまり出来が良くないと言われています。
その原因はおそらく、メンバー内の不協和音、リヴォン・ヘルムと
ロビー・ロバートソンの関係でしょう。


4.ラストワルツ開催まで。
リヴォン・ヘルムとロビー・ロバートソンの確執は、いろいろな説がある。
リヴォンも自伝を発表しているし、ロビーも様々なコメントを残している。
まとめてみると、おおよそは、こういうことだろうと思う。

根っからのミュージシャンであったリヴォンに対して、
ロビーはビジネスにも興味があり、すでにその先を見つめていた。
ロビーは、このバンドは音楽的にも行き詰まっており、
ツアーにも終止符を打つべきだと考えていた。そこで華々しい
解散コンサートを独断で企画した。
バンド存続を主張するリヴォンは、激怒し、
「お前抜きでTHE BANDを続けると言ったら、どうする?」と
詰め寄ったら、「そんなことは絶対に阻止する」とロビーは吐き捨てたそうだ。
ロビーはこのときすでに、大きな権力を持っていた。
ビッグなマネージメントチームを率いるリーダーでもあったのだ。
私は、ロビーのファンでもあるので、あまり批判めいたことを
重ねたくないが、二人の確執の原因として、もうひとつ噂を聞いたことがある。
それはクレジットのことだ。ザ・バンドの曲は、ほとんどロビーの
クレジットになっているが、他のメンバーとの合作に近いものもあるとか。
それをロビーはすべて自分一人で書いたようなクレジットに
してしまったことをリヴォンが怒っている、という噂だ。あくまでも噂だが、
本当だとすると、当然、印税がかなり変わってくるわけで、お金に
まつわる確執もあるのかもしれない。
と、いろんなことが言われている二人だが、とりあえずコンサートは実現した。


5.解散コンサート「ラストワルツ」。
ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ニール・ヤング、ヴァン・モリソン、
ジョニー・ミッチェル、マディ・ウォーターズ、ドクター・ジョン、
ロン・ウッド、リンゴ・スター、ロニー・ホーキンスなど、そうそうたる
メンバーが集まり、マーティン・スコセッシによって撮影されたラストワルツ。
まさに華々しい大イベントだと思う。
しかし、この映像を見ると、メンバーのテンションの違いが、
はっきりと感じられる。笑顔いっぱいのロビーに対して、
怒ったように激しくプレイするリヴォン、
ときおり見せるしらけた表情が印象的だ。
参考(youtube)Up On Cripple Creek

そして、良くない出来のパフォーマンスもある。
この演奏は、ラストワルツ完全版にも収録されなかった。
参考(youtube)King Harvest(音声のみ)

ゲストが出てくる頃には、リヴォンの表情もほんの少し
やわらぎ、演奏も落ち着いきたような気もするが、それは
ミュージシャンとしての血だろう。豪華なゲスト陣に
あおられたのかもしれない。
参考(youtube)Forever Young〜

リヴォンは、このコンサートに出るのをかなりいやがっていたと
言われている。レヴォンが出演を決めたのは、敬愛する
マディ・ウォーターズがゲストメンバーに加わったからだ。
ところが、ゲストのことでもひとモメあった。
ゲストの中に、ザ・バンドとは何のゆかりもない
ニール・ダイヤモンドが入っているが、これはロビー・ロバートソンが
彼のアルバムをプロデュースした縁で加えたものだ。
そのことに関してもリヴォンは怒っていた。
もちろん、ニール・ダイヤモンドの演奏のとき、
リヴォンはドラムを叩いていない。

いろんな裏話を残し、歴史的イベントは幕を閉じた。
ある意味、ザ・バンドはこれで終わりだったと思う。
しかし、その名は、アメリカ生まれの
根っからのミュージシャン、リヴォン・ヘルムによって
引き継がれていった。



続きのページへ。





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バンドという名のバンド。 [音楽(ザ・バンド)]

THE BAND、とても大胆なバンド名ですね。しかし、彼らの音楽は、
その名に恥じないものでした。数多くのミュージシャンに影響を与え、
そして敬愛され続けたバンドの中のバンド、アメリカのロック史に名を残す、
まさにスーパーバンドといえるでしょう。
リチャード・マニュエル、そしてリック・ダンコを失い、もうその
パフォーマンスをライブで体験することはできませんが、彼らの残した
アルバムは、今後もずっと聴き継がれていくのではないかと思います。


1.ザ・バンドが生まれるまで
1957年、ロックという音楽ジャンルが、まだまだ市民権を得てなかった頃、
ロニーホーキンスというシンガーがアメリカで地道な活動を続けていた。
そのバックバンドのドラマーとして参加していたのが、若干17歳の
リヴォン・ヘルムだ。やがて、ロニーは、よりよいギャラとオーディエンスを
求めて、カナダのトロントへと活動拠点を移す。そこに集まってきたのが、
ロビー・ロバートソン(ギター)、リック・ダンコ(ベース)、
リチャード・マニュエル(ピアノ)、ガース・ハドソン(ピアノ・オルガン・
サックス)だ。アメリカからきたリヴォンと、カナダ人4人で編成
されたバンド「ザ・ホークス」は1963年まで、ロニー・ホーキンスの
バックバンドとして活動。その後2年間は、リヴォン&ザ・ホークスとして
単独のステージもこなしている。
そして1965年、ひとつの出来事が、彼らの運命を大きく変えることとなる。
それは、ボブ・ディランとの出会いだ。1965年から66年にかけて、
ボブ・ディランはエレクトリックツアーを行っているが、そのバックを
努めたのが、ホークスの5人。このツアーは、フォークの神様と呼ばれた
ボブ・ディランが、エレキギターを持ち、ファンから大ブーイングを受けた
伝説のライブ。各地で賛否両論を巻き起こしたのだが、そのことが話題となって、
バックバンドである彼らも注目を浴びたのだった。
翌年、ボブ・ディランはバイク事故を起こし、表舞台から姿を消すこととなる。
そしてホークスのメンバーを誘い、ウッドストックに住み、
日々、セッションを繰り広げる。このときの音源は、1975年に
「ベースメントテープ」というタイトルでリリースされている。


2.ザ・バンド誕生。
1968年、ホークスのメンバーは、ザ・バンドと名前を変え、
「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」をリリース。
その見事なまでに完成された音楽は、エリック・クラプトンをはじめ
多くのミュージシャンに衝撃を与えることとなる。

クラプトンは、自伝でこのアルバムとの出会いを次のように書いている。
「その素晴らしさに私はその場に立ちすくんでしまった。カントリー、
ブルース、ジャス、ロックの影響を取り混ぜた素晴らしい曲を書き、
演奏しているバンドがここにいた。彼らを自分たちと比べるのは
無意味で馬鹿げたことだったが、血眼になって基準になるものを探して
いた時に、目の前にそれがあったのだ」
「エリック・クラプトン自伝」中江昌彦訳より転載)

レコードデビューを飾り、すっかり波に乗ったザ・バンドは、その後、
コンスタントにツアーとアルバム制作を続ける。しかし、最高傑作とも呼ばれる
「南十字星」発表後、バンドメンバ内に不穏な空気が漂いはじめる。


3.ザ・バンド解散へ。
元々ザ・バンドの主導権はリヴォンが握っていたようだが、
曲作りの中心がロビーだったこともあり、後期には、ロビーへと
移っていったと思われる。それもあってリヴォンとロビーの関係はかなり
ぎくしゃくしていたようだが、1976年、その関係は修復不可能となる。
その年の夏、ロビーに子供が生まれる。そしてリチャード・マニュエルが
事故に遭いツアーがキャンセルになった。それをきっかけにロビーは、
各地を飛び回るツアー生活に終始を打ちたいと考えはじめたのだ。
メンバーと話し合ったところ、リヴォンは俺はミュージシャンだ、
このままツアーを続けたいと猛反発した。しかし、ロビーはもうすでに
解散を決めていた。旧友たちを集めて素晴らしいコンサートを開催しようと
メンバーに提案した。それが「ラストワルツ」だった。


続きのページへ。





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リック・ダンコの命日です。 [音楽(ザ・バンド)]

12月というのは、数多くのミュージシャンが亡くなった月ですね。
一番有名なのは、ジョン・レノンですが、他にも
様々なジャンルのミュージシャンが、この世を去っています。
ソウル、R&B界では、30歳を目の前にして飛行機事故にまきこまれた
ビッグ・オーことオーティス・レディング
33歳という若さで射殺されたサム・クック、事故で半身不随に
なりながらも音楽を続けた「闘うソウルマン」カーティス・メイフィールド
「ゴッド・ファーザー・オブ・ソウル」ジェームス・ブラウン
ブルース界では、ブルース・ギタリスト、3大キングの一人、フレディ・キング
同じく3大キングのアルバート・キング
天才ブルース・ギタリストと呼ばれた、マジック・サム
ロック界では、フランク・ザッパをはじめ、
ビーチボーイズのデニス・ウィルソン
ウェストコーストの歌姫ニコレッタ・ラーソン

そして、今日10日は、THE BANDのベーシスト、リック・ダンコの命日です。
ジョンレノンが凶弾に倒れたニュースもショックでしたが、
リックの死も、同じぐらい驚きました。1999年12月10日、リックは当時、
ニューアルバムの制作中。それと並行してライブ活動を行っていたという
記憶があります。確かライブ後に自宅で倒れ、後から帰った妻が
それを発見した。そういうことだったんじゃないかと思います。
死因は心臓発作だとか。享年56歳、若すぎますよね。
亡くなる前に制作していたというアルバム、「Times Like These」は、
旧友たちのサポートにより2000年に完成しています。

99年12月にシンガーソングライターのRick Dankoが亡くなった時、彼は'99年のライヴ アルバム『Live On Breeze Hill』に続くスタジオ録音の新アルバムを制作中であった。 亡くなる前に完成していたのは数曲で、アルバムとしては未完成となっていた。そこで、 Dankoの友人である元The Bandのメンバーたちが彼の意思を引き継ぎ、その他数多くの 才能あるアーティストたちのDankoへの敬意と愛情により、遺作『Times Like These』が 完成した。『Times Like These』には未発表曲やライヴ音源、独創的なカヴァー曲が含まれ ている。オリジナル曲は、ライヴでは何度も演奏されていたが、アルバムには未収録だった タイトル曲の他、Eric Claptonとの共作“All Our Past Times”、EaglesのJoe Walshがギター、 ピアノ、バックコーラス、Dankoの弟Terry Dankoがベースを担当した“Change Is Good”、 CrowmatixとTom Pachecoがギターで参加した“You Can Go Home”。ライヴ音源は'98年の The Bandのアルバム『Jubilation』に収録されていた“Book Faded Brown”、元The Bandの 仲間であるLevon Helmがハーモニカを吹いている“Let The Four Winds Blow”。カヴァー曲は、 Dankoが共作したBob Dylanの“This Wheel's On Fire”。Greatful Deadの“Ripple”では、元 The BandのHelmとGarth Hudsonがマンドリンを入れて、カントリーウエスタン風に仕上げて いる。そして、Sam Cookの“Chain Gang”には、Jim Weiderがギター、Richard Ciarlanteが ドラム、Hudsonがサックスとシンセサイザーで参加している。 (「BARKSニュース/リック・ダンコの遺作」より転載)



The Band - It Makes No Difference(youtube)

The Band - Stage Fright(youtube)




Times Like These

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Woodstock
  • 発売日: 2000/08/19
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